daraodarasukeのブログ

理想はアンコウのように替えの効かない存在になることです。

「白身魚みたいな人間」はいやだ!

白身魚みたいな人間」はいやだ!

 

:今回の記事はメッセージ性が強いです。

白身魚のような人間」とは

僕の考える「白身魚のような人間」とは、
「いわゆる、コミュニケーション能力・協調性など、周囲の空気や動きに合わせる能力が高く、何でもそつなくこなすことができる反面、自分から何かを積極的に発信したり、新しいことに取り組むことなどに対しては全く頭の働かない人間」のことだ。

僕の職場には性別・年齢層問わず、いるのはそんな人間ばかりだ。


まあ、公務員という、別に際立った成果を出す必要がなく、大きな問題を起こさずに今まで通りに仕事ができればそれなりに評価される職業柄、当たり前と言われればそれまでだが。

 

白身魚のような人間」の特徴

そんな「白身魚のような人間」である彼らは、

集団での作業がやたら得意だ。
1人司令塔となる立場の人間(大抵は声の大きい上司)がいれば、その人間の指示する内容を素早く理解し、周囲と共有し、そして行動に移すことができる。
そのためか、集団の秩序を乱すような浮いた行動はほとんどしない。

 

そして、
多くの人とフレンドリーにコミュニケーションをとることが出来る。
たとえ初対面であったとしても、明るく息の合った会話をすることができ、トゲのある言葉も使わないため相手に気に入られやすい。
そのため、上記と少し被るが、即席で作られた集団で仕事をすることになっても、うまく意思疎通を図り、目的を達成することができる。
また、横並びの意識が非常に強いため、同期や同年代など、自分と共通点の多い人と結束しやすく、結婚などの人生の大きなイベントも同じような年齢で経験することが多い。


そして、
彼らはマニュアルや法律などの、''誰かに決められた’’ ルールが大好きだ。
どんな仕事をするにしても、自分で考える前にまずはマニュアル通りにやることや、法律から逸脱していないかを常に意識する。
そして、大抵の仕事は、前年と同じ方法が採用されるので、当然前年と同じような結果となる。


部署異動などで担当者が変われど、ただそれがひたすら毎年繰り返されていく。
決められたルールに無い方法は、たいして考えることもないし、口にすることもない。
彼らにとっては無駄なことだからだ。

 

そのようにして日々の仕事をこなしてきた彼らは、年齢が上がっていけばそれなりに出世をし、それなりの人間関係を築き上げ、それなりの給料をもらい、それなりの暮らしをして生きている。

 

そうした、クセのない淡白な「白身魚のような人間」の生活は、世間では「安定している」、「未来も安泰だ」などと認識され、良いイメージを持たれることが多い。
そのため、結婚や住宅ローン等の審査など、誠実さや信頼度が問われる場面ではうまくいきやすい。

 

確かに、結果を出さなければいとも簡単にクビを切られるリスクがある会社員などと比べると、よほどの問題を起こさない限り務め続けられ、ボーナスも確実に出る公務員というのはそれだけで魅力的に映りやすいのかもしれない。

だが、それが、「白身魚のような人間」を量産する原因になっているような気がする。


白身魚のような人間」の弱点

僕は、そんな「白身魚のような人間」には、大きな弱点が存在すると考えている。


それは、
自分固有の考えや気持ちを強く持ち、それを誰かに主張したり、自分自身で仕事や組織に対する課題を見つけ出し、それを改善していくための新たな方法を創り、実行して結果を出していく
という力がかなりショボいということだ。
これは正直、人見知りで集団での仕事が苦手な若手の僕からするととっても不思議に感じられることなのだが、どうやら事実らしい。

 

だって、僕の職場はとある田舎の市役所なのだが、そこには、仕事以外の知識も豊富で、指示も行動も的確、そして優れた人格を備えており、多くの人から人望を集めている、そんなすごい人が本当大勢いるのに、なぜか市の財政は赤字続きで、人口減少も歯止めが効かず、街中の個人商店などは次々と閉店し、空き家も増えている。
かといって、昔からの観光産業への一本の命綱体質は抜けず、何かこの状態を良くするための新たな対策も目を引くものは何も出てきていないんだもの。

 

そんなこと言ったらさすがに酷だし、他の田舎のとこも同じようなもんだよって言われるかもしれないけど、それが、「白身魚のような人間」が多く集まっている証拠でもあると思う。

 

実際、普段僕が仕事をしていても、「いかに残業をせず」にとか、「ミスを減らして」とか、「マニュアルを整備して」だとか、そういう、どちらかというと、元々マイナスだったところからプラマイゼロの方向に持っていこうとする意識は皆さん揃って持ちたがるけど、例えば、「税収を〜円上げる」とか、人口を「〜人増やす」とか、直接的な数字が絡んでくるような話題はほとんど出てこない。

 

恐らくだが、
「周りのみんなが持ち上げる意見に一緒に同調さえしていれば、その輪の中にい続けられるし、そっちの方が波風たたずに仕事ができて、無難に安定した日々を送れるけど、あまりに野望のような目標を掲げてしまうと、業務量も増えるかもしれないし、周りとの衝突も増えて孤立してしまうかもしれない。
何より、今のこの立場を失いたくない。」
といった感情が先立って、たまに珍しく自分で考えたことがあったとしてもそれすら言えないのかもしれない。

 

白身魚のような人間」はもうやめよう!

だけど、もうそろそろ、そんな「白身魚のような人間」はやめるべきだと僕は思う。


それは、もちろん自分はそんな人間にはなりたくないという気持ちもあるが、それ以上に、自分で課題を見つけて取り組み、+‪αの成果を出した時の過程がすごく楽しく、その時の方が遥かに充実しているからだ。
当然、手探りのことが多く、時にはどうしようか悩んで、苦しむこともあるが、誰も達成していない新たなことを成し遂げた時の充実感ほど気持ちいいものは無いし、それは数字にもちゃんと反映されることが多いのだ。

 

それに、白身魚ってクセがないってだけで、別にタラじゃなくてもいいし、ホキやエソでも別の魚でもいい。
つまり、替えはいくらでもあるということだ。
だから、僕はそんな人間になることは死ぬも同然だと思っている。
大袈裟かもしれないが、僕にとって「白身魚のような人間」になることは、僕自身の個性やアイデンティティが失われることを意味するから。
だから、ちょっとくらい、「あの人ってクセがあるよね」って影で言われていたとしても、それは褒め言葉だと思って、ありがたく受けとめようと思っている。

 

「理想はアンコウのような人間」

同じ魚で言うならば、理想は、アンコウかなー♪
だって、見た目もオリジナリティに溢れてるし、身も独特だけど美味しい。そしてなにより、あの肝は他の魚では替えがきかない!アンコウのイラスト

ちょっと例えが合ってるか分からないけど、多少能力のバラツキがあったとしても、自分が得意で熱意の注げる仕事があれば、日常はきっと充実して楽しいし、同じ熱意を持った者同士で取り組めば、1人でやるよりももっと大きな成果も期待できるかもしれない。

だから、僕は味も素っ気もない「白身魚のような人間」には絶対なりたくないんだ!

と、ここまでちょっと長く書いてきましたが、ふとそんなことを思うこの頃でした〜。

お読みいただき、ありがとうございました!😊