daraodarasukeのブログ

理想はアンコウのように替えの効かない存在になることです。

久々の投稿です

いやー、結構日が空いてしまった。

はてなブログで初めて記事を投稿したのが先月の10日。

それから約1ヶ月間、2日に1回以上のペースで記事を投稿してきていたのですが、

ある日突然やる気が出なくなってしまい、記事のネタも全く考える気になれませんでした。

なんかこう、プツッと糸が切れたような、エネルギーが枯れてしまったような、そんな感じです。

まあ、要するに、軽い燃え尽き症候群のような感じですね〜。

 

まあ、確かに仕事しながらやっていると、平日は帰って家につくのが早くても午後6時で、今は忙しくない時期にしてもたまに残業はあるので、その中でやるとなると、1日で2〜3時間くらいしかとれないんですよね〜。

しかも、日によっては仕事で疲れている時もあるので、思うように進まなかったり、言葉が出てこなかったり、、、

休日の日も出かける用事があったり、その他にも別のことをしていることがあったので、意外と時間がなかったですね。

そんな中で、1記事あたり必ず1000文字以上とか、休日は3000文字以上とか、平日も最低でも2日に1つは記事を投稿するとか、変な謎の縛りを自分に課していたせいか、知らず知らずのうちにストレスを溜めてしまっていたようです。

でも、読者の方が増えていったり、自分の書きたい内容を文章にできた時は、嬉しくて、充実感を感じられることもあったんですけどねー。

何かを続けるっていうのは、言葉でいうほど簡単なことでは無いですね。

改めて実感しました。

 

さて、そんなこともありましたが、またブログを書こうという気持ちがやっと少しだけ出てきました。ただ、まだ以前のようにブログの記事のネタを思いつけないので、この空白の1周間ちょっとの間、それまでブログにあてていたはずの時間、僕が何をしていたのか、ざっくりお話していきます。

 

1、平日はほぼ毎日散歩していた

仕事から帰るとだいたい午後の6時〜7時なのですが、そこから晩御飯の準備をして、食べ終わるのが午後7時半〜8時の間です。

そして、いつも午後10時〜10時半くらいに風呂に入るので、それまでの約2時間のうち、半分以上はほぼ毎日散歩していました。

散歩しながら、スマホでKindle本を読んだりもしていました。

ずっと家の中にいると、やる気は下がっているのにネガティブな方に考え事をしてしまったりして、なんか落ち着かなかったので、それよりは散歩しながら涼しい夜風に当たっている方が気が紛れました。

家に戻ると、適度な疲労感を感じられるのも良いです。

 

2、読書したり、You Tubeを観ていた。

実は今、興味があって、マイブームになっていることがあるのですが、それは、山奥の古民家などに移住した人たちの生活の様子をKindle本で読んだり、ユーチューブで観ることです。

生活形態は様々で、集団で共同生活をしながら暮らしている人や、1人で暮らしながらも、近所の方からの差し入れをもらったり、定期的に友人や知人が来たり、視聴者の方から道具や食料を送ってもらったりして生活している人がいます。

僕はここ1週間くらい、暇な時間はこればっかりでした(笑)。

なんでなのかはうまく説明できないんですけど、元々人気の少ないところが好きなのもあるのか、画面や音を通して感じられる山奥の落ち着いていて、ものすごく綺麗な環境と、出てくる人達がすごく幸せそうな表情をしていたり、充実感のある顔をしているのを観てて、羨ましいというか、自分もそんな感覚を味わってみたいなーという気持ちが湧いてくるからなんじゃないかなと思います。

正直、ここ最近いろんなことへの意欲を失ってしまっているのですが、この山奥暮らしの書籍や動画だけは読んだり観ているととてもおもしろくて、辛い現実から引き離してくれるというか、そういう世界もあるんだなーって気持ちにさせてくれるんですよね。

 

3、ただただボーッとしていた

していた、というより、気がつくとボーッとしている時間が多かったなーという感じです。

もちろん、仕事の時は環境的にボーッとできないので、仕事に集中していましたが、休みの日や仕事から帰って家にいる時に、無意識にボーッとして、何も考えていない時間がありました。

なんか、頭が少し重たくて、思考回路がいつもより鈍くなっている感じがしているので、体がこのボーッとする時間を欲しているようにも思います。

眠気とも違うこの感覚、結構不思議な感じです。

 

 

 

以上が僕がこの1周間とちょっとの間にしていたことになります。

ここのところ、僕がよく思うのが、暇な時間、何もしない時間も人生には必要なんだろうなーということです。

やる気に満ちている時はあれをやりたい、これをやりたいという気持ちが出てきて、時間が惜しく感じる時もありますが、動いた分、休まないとやっぱり、続けるのは難しいんだろうなーと思います。

山奥で暮らしている人たちを動画などで観ていると、時間や周囲の人間関係などに縛られず、自分の気持ちに正直に生きているという印象を受けます。

僕も、これからもブログは続けていきたいなーとは思っていますが、無理にはやらず、自分が書きたいと思ったタイミングで書くのが一番なのかなーと思います。

おそらくその分投稿数は少なくなってしまうとは思いますが、その方が自分の本当に書きたい内容が書けるのではないかなと考えています。

 

それでは、今回はこのあたりで

お読みいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

夜釣りに行ってきました!(7/8)

こんにちは!

いやしかしここのところめっちゃ蒸し暑いですね~汗

なんかもうだるくてすでに夏バテ気味になっちゃってる気がします。

 

さて、昨夜はまた夜釣りに行ってきたので、その様子をお届けします。

狙いは一応、前回と同様にアナゴです。

でも、その他も大歓迎って感じです。

 

今日もそうですが、昨日も風が強くて、正直行くかどうか迷いました。🍃

 

ただ、風を背にできる場所だったら大丈夫かなーと思い、前回とは違う場所を選びました。

 

午後6時前、釣り場に到着。

この釣り場は自宅から少し離れたところにあります。

自宅の近くの海は風で白波が立っていたり、茶色く濁っていたり、かなり荒れている様子だったのですが、ここは風向きの影響なのか、波が立っておらず、潮もかなり澄んでいて、かなり意外でした。

風も強いですが、斜め後ろからだったので、そこまで障害にはならなそうでした。

ただ少し、うねりはありました。


風向きの影響か、強風の割には驚くほど波は穏やかでした

 

まだ周囲は明るかったですが、早速、一本目の仕掛けを用意して、投入しました。

そして、すぐさま2本目の仕掛けを作り終え、それも投入しました。

 

風が真後ろではなく、横からも入ってくるので、投げたいポイントから少し風上側に投げるとちょうどいいところに着水しました。

また、根も多い釣り場なので、根と根の間にある砂地のところに着水させないとジ・エンドとなってしまうため、そこはかなり気を使いました。

 

最初のアオイソメをつけた仕掛けを投入してから特にアタリもなく約10分が経過したため、回収しようと竿を持ったところ、ゴツッ、ゴツッとアタリが。

なにやらそこそこ大きな魚がかかっている様子。

軽くアワセを入れて寄せてくると手前でもうひと走り。

堤防が低いので、最後の抵抗に耐えてそのまま抜き上げると、

釣れたのは大きなカワハギでした。

見た感じ25センチ以上はありそうです。


バケツに入れる前に置いて写真を撮るのを忘れてました…
ちなみにオスでした。

もうまもなく日が沈むという時間帯に、思わぬ嬉しい外道をゲットでき、かなりテンションが上りました。

この時期のカワハギは肝は小さいですが、その分身に栄養を蓄えるので、刺し身などはすごくおいしいです。

 

予想外の大物をゲットし、これは順調だなーと思っていたら、もう片方のイカの切り身を付けた仕掛けの竿にもアタリが!

しかし、竿を持つと軽く、何も掛かっていませんでした。

仕掛けを上げてくると、針がなくなっていました。

よくみると切れたハリスはガジガジに噛み切られていて、何度も噛まれたあとがありました。

ひょっとすると、カワハギか、フグの仕業だったのかもしれません。

アナゴ用の太いハリスでも噛み切ってしまうとは、恐れ入ります。

 

そして、午後7時を過ぎ、あたりが完全に暗闇に包まれたところでイカの切り身の仕掛けの竿に強いアタリが!

竿を持ってアワセを入れると、ゴンゴンと重量感のある大物のアタリが伝わってきました。

重さを感じながら巻き上げて、抜き上げると、自分の体でこんがらがった長物のシルエットが!

ん、これは、見覚えが、、、


上げたとたん暴れまわり、結果ブレブレの写真となりました(^_^;)

うわーまたかー!

この前釣れたのと同じホタテウミヘビでした。

 

daraodarasuke.hatenablog.jp

ガックシ↓

せっかく期待したのになー。

ほんとコイツどこ行ってもいるなー。

速やかにお帰りいただきました。

 

気を取り直して、今日はイカよりもアオイソメの方が面白そうだと思ったので、仕掛けをアオイソメに替えて投入し、竿2本ともアオイソメの状態でアタリを待つことにしました。

 

しかし、そこからしばらくは明確なアタリは来ませんでした。

相変わらず風は強いので、置いた竿が大きく揺れます。

そのため、小さなアタリだと、わかりません(笑)

もしかしたら、何度か小さいアタリはきていたのかもしれません^^;

 

仕掛けを回収しようとしたら根掛かりしていて、2回くらいそれで道糸から高切れしてしまいました。

ひょっとすると、掛かった魚が根に潜り込んでしまったのかもしれません。

 

そうしたトラブルもあり、忙しく対応に追われているうちに気づけば午後8時をまわっていました。

残すは後1時間くらいかーと思っていたら、ここでアタリが!

少し待って竿を持つと根掛かりのような感触が。

あー根に潜られたかなーと思いながらも強めに引くと引っこ抜くことができました。

巻き上げてくる時に重さを感じたので何か掛かっている様子。

上げてくると、

やや小ぶりではありますが、ゴテンアナゴでした。

マアナゴと比べると、小骨が気になったり食味はかなり劣りますが、天ぷらなどにすると美味しい魚です。

一応ですが、本命をゲットすることができました!

 

その後は、午後8時半をまわると、アタリがピタッと止まってしまいました。

風も相変わらず強いので、そろそろやめてもいいかなーとも考えていたのですが、ここでまた強めのアタリが!

竿を持つと、グイグイと仕掛けを引っ張る大きめの魚の感触。

軽くアワセを入れ、途中何度か突っ込まれましたが、巻き上げてくることに成功。

これもそのまま抜き上げると、

なんと、釣れたのは25センチくらいのメイチダイでした。

今まで何度かスーパーに売っていたのを買って食べたことはありますが、釣ったのはおろか、生きている姿を見るのも初めてだったので、すごく驚きました。

釣れたばかりのメイチダイは全体的に鮮やかなきつね色で、エラの縁は銀色にキラキラ輝いていてとても美しかったです。

以前、マダイを釣った時も、似たような印象を持った記憶があります。

 

珍しい魚が釣れたところで、風も一段と強くなって、アタリが全く来なくなり、エサも取られなくなったため、ここで終了することとしました。

 

結果

・カワハギ(27センチ)1匹
・ゴテンアナゴ(約35センチ)1匹
・メイチダイ(25センチ)1匹

でした!

しっかし、カワハギもメイチダイも死ぬと全然色合い変わっちゃうなー。

 

 

今回は、強風という、あまりコンディションが良いとはいえない状況でも、魚の活性は高かったようです。

そして、普段あまり釣れないような珍しい魚が外道として釣れたので、とてもおもしろかったです。

一応ですが、本命のアナゴも釣れましたし。(ゴテンですが…)

ただ、今度、というかいつかはマアナゴを釣りたいと思います。

 

それでは、ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

 

 

地上は暑いから空を飛びたい

暑い。

蒸し暑い。

エアコンつけてないと常に汗かいてる。

 

ここのところでまたさらに暑くなった。

湿度が高いからちゃんと風呂で体洗ってるのにすぐに身体中ベトベトになって、気持ちが悪い。

 

ここまで暑いともう地上にはいたくなくなる。

いっそ風通しのいい空を自由に飛んでいたいと思う。

 

空が飛べたらどんなに気持ちいいだろう。

前も後ろも右も左も上も下も遮るものは何もない。

目をつぶっていても、何にもぶつからない。

涼しい風を心ゆくまで浴びることができる。

大声で歌っても誰にも聞かれない。

街並み全体を上空から見下ろして、一望することができるし、行きたい場所へお金もかからず、すぐに行くことができる。

体力と気力さえあれば、異国の地へも行けるだろう。
あんまり多くの荷物は持てないかもしれないけど。

 

鳥を見ていると羨ましくなってくる。

彼らは生まれながらにして空を飛ぶことができる資質を備えている。

多少訓練は要るかもしれないけれど、それさえ無事クリアすれば、後は死ぬまで空を飛び放題だ。

もちろん、雨だったり、雷だったり、他の鳥の存在だったり、気をつけなければならないことはそれなりにあるだろうけれど、それを差し引いても有り余るくらい、僕にとっては飛行能力というのは魅了的なものだ。

 

あーいいなー

自分にも翼があったらなー

空を飛び回りたいなー

 

あまりにも暑すぎるので、そんなことをふと思いました。

 

おしまい。

 

「好かれる」という名の馴れ合い

「あの人はよく周りから好かれている」

「周りから好かれるように振る舞おう」

「好かれやすい雰囲気・態度」

 

社会人になって働いている人(それだけじゃなく学生も)や、誰かとの良い関係を望んだことのある人なら、上記の言葉は絶対に一度は自分に言い聞かせたり、意識したり、周りの人から言われたことがあるだろう。

 

なぜなら、そう心の中で呪文のように唱えていると、本当に現実としてその言葉通りになったり、同じような考えを持った人が自然と集まってくるからで、また、そのことによって、自分自身が置かれた環境にうまく適合し、人間関係に恵まれて障害のない充実した人生を送ることができると多くの人の間で信じられているからだ。

 

僕自身も、かつてはまさにそのように、充実した人生を送りたいと思って様々な人の集まる場に参加したり、周囲の人間に気に入られようと、頼まれたことは喜んで受け、積極的に雑談をして交流を深めようと頑張っていた時期が少しではあるけれどもあった。

 

だけど、結果的に全く人生を充実させることはできなかった。

 

いや、むしろ、本当は行きたくないと思っているのに、それを無視して無理やり人の集まる場へ行って、精神的にボロボロになって帰ってきたり、本当はやりたくないと思っているのに他人の都合を優先して、その結果相手が思うような反応をしてくれず、勝手に恨みに近いような感情を抱いたり、本当は好きでもなんでもない相手であるがゆえに乏しい共通の話題を血眼になって探した挙げ句、何も話したくなくなってしまったり、人生を充実させるどころか、どんどん貧しくさせる結果しかもたらさなかった。

 

そして、何が一番僕にとって決定的に堪えたかというと、こんなに頑張ったのに人に全く好かれなかったことだ。

 

もちろん、人によっては同じ方法でも結果たくさんの人に好かれて、自分の思い描く充実した人生を実現させることができることもあるだろう。

 

だけど、それができるのは本当に限られたごく一部の人だけであって、そんな、「人として〜」とか、「常識として」みたいにあたかもそれが当たり前みたいな風潮で語られるのは絶対違うと僕は思う。

 

そして、その「好かれる」ことを絶対条件に置いた考えが巷で蔓延しているせいで、交換条件を大前提にした妙な馴れ合いや、僕のようにその考えと根本的に相性の悪い人間が不幸な思いをしたり、損ばかりするといった残念な現象が起きていることにつながっているとも思う。

SNS疲れのイラスト(男性)

ちなみに僕は、自分の身を削って無理やり頑張っても人から好かれることはないという事実を知って、もう「好かれる」ということ自体をやめた。

もうこれ以上そんなことをしていたら、ますます不幸になってしまうし、なにより、自分自身の人格がどんどん死んでいくと悟ったからだ。

 

行きたくもない集まりには極力行かない!

相手の反応をいちいち気にしない!(どうしても気になっちゃうことはあるけど)

会話の続かない人と思われても良い!

 

今の僕の考えはこんな感じだ。

当然、これでは人から好かれることはない。

だけど、無理をしていないので、クッタクタに疲れ果てることもない。

どうせ人から好かれないのなら、自分に極力損が回らないほうが良いに決まってる。

それに、僕は今の自分のほうが自然体な気がしているから好きだし幸せだ。

 

結局、誰から好かれるよりも、自分が自分のことを好きでいられる方が、ずっと幸せなんだ。

100人の他人から好かれても、肝心の自分のことが嫌いで、いつもその嫌な本当の自分を隠したり、別の人格を演じたりしていたりする人が果たして幸せな人なんだろうか?

その人が好かれているのはあくまで偽りの人格であるからって、本当のその人の姿を自分自身でも受け入れられないなんて、こんな悲惨なことはないと思う。

 

しかし、周囲には本当にこの、人から「好かれる」ことを病的なまでに追い求めている人が多いなーと思う。

もしかしたら、そんな自覚すらなく、無意識なのかもしれないけれど、、、

 

たとえ自分の体力や時間の多くを削っても。

自分という人間であるための貴重な感性や思考を失ってでも。

時に都合よく利用されようとも。

 

それでも人から「好かれようとする」ことをやめない。

もしかしたらやめられないのかもしれない。

 

そもそもだけど、他人から信頼や好感度を得るために、なぜそんなに自己犠牲を払わなければいけないんだろうか?

なぜ最も大事にすべき自分を一番ないがしろにし、ぶっちゃけどうでもいい“他人様”ばっかり優先するんだろうか?

 

少し1人の時間に冷静になって考えてみれば、不本意な気分になってまでやることじゃないなって分かるはずなのに…

 

それにその結果、相手から好かれたとしても、その先にあるのはただの「馴れ合い」ばっかりだ。(もちろん全てが無駄とは言わない。)

 

傍からは仲良くしているように見えても、実は片方が合わせてばかりいるからすり減っていたり、相手が自分が払った犠牲に見合った見返りをくれないから、相手を恨んでいたり。

 

今後、その人との付き合いが続くということは、その後もずっと自分を犠牲にしていかなければ関係は続かないってことは、関係の成り立ちから言えば当たり前のことなのに、勝手に相手に期待して裏切られて、傍から見たら何やってんの?って思う。

 

あるいは互いに本当の自分ではなく、偽りの自分を演じ、それぞれが好意を持ったとして(別に男女の関係に限った話ではない)、嘘っぱちのキャラクラーだから会話の内容も薄っぺらくて、交わした言葉の数に見合うだけの深い関係性も築けない。

だけどこの偽りの自分でなければ相手からは愛想を尽かされてしまうだろうから、本当の自分は見せられず、今のままでいくしかない。

 

そんなことを互いに思っているから、ペラペラの関係性のまま気づけば何年も経っていたりする。でもそれは相手もそうだから自分だけが損をしたわけじゃないからいいかななんて当人は思ったりする。

そして、いつの間にか本当の自分が何なのか分からなくなっている。

なんて残念な関係性なんだろう。

 

「好かれる」ことを第一優先にした行動の結果、生まれた「馴れ合い」から始まる関係性がもたらすのは、結果として悲劇ばっかりだと思う。

 

それにもかかわらず、世間では「好かれる」のは人として当然の資質であるかのように、盲目的なまでに信じ込まれている。

これは一種の宗教のような、そんな怖さすら感じる。

 

そもそも、だいたい、「好かれる」って受け身じゃないか。

もうその時点で他人に頼り切っている感がプンプン漂ってくる。

自分の感覚が信用できなくて、人様の感性を当てにしてばかりいるから自然とそうなってしまうんだろう。

損得勘定抜きに、自分はこれが「好き」だとか、これがいけ「好かない」とか、自然に感じることもきっとあるはずなのに。

繰り返しになるけど、本当にただただ残念なことだと思う。

 

 

だから、もう少し、世間の「好かれる」教の信者が減ってくれると、自分らしくいられて生きやすくなり、本当の意味で充実した人生を送れる人が増えるんじゃないかな−と思う。

 

それに、偽りの自分をたくさんの人に気に入ってもらえたとしても、いつかは本当の自分を見せなければならない時は必ず来るはずなので、だったら最初から本当の自分でいるほうが、本当に自分のことを「好き」でいてくれる人を早く見つけることができるから、結局遠回りせずに済むっていう利点もあるし。

 

別に素で振る舞って周りに好かれなくてもそれはそれで良いじゃないか。

当たり障りのない態度で万人に「好かれる」よりよっぽどマシだと思う。

それが自分の人生を生きるということでもあると言いたい。

 

なにより、本当の自分のことを自分が大好きでいられる。

これに勝るものはないと思う。

 

 

おわり

 

 

 

 

 

ある日突然無人島に1人置かれたら ③

ある日、妙な感覚に襲われて起き上がり、目を開くとそこは無人島だった。

そして、当然ながら、自分以外の人間はここには存在しない。

全く不可解だけど、どうやら夢ではないらしい。

さて、もしもこんな時、自分だったらどうするか、、、

 

ある日突然無人島に1人置かれたら(②からの続き)

サバイバル術を少しでもかじっておけばよかったと後悔する

昼間の探索の時に、動揺の中にも時折感じられていた楽しさも束の間、これからやってくる長くて暗い夜に怯えていた夕暮れ時。

それからの周囲の環境の変化はあっという間で、底知れない不安感を抱えながら考え事をしていると、気づけばあたりは暗闇に包まれていた。

 

昼間は大きな動物の姿は見られなかったが、もしかしたら夜になってから行動を始めるものもいるかもしれないので、出くわさないように、また、もし出くわしても逃げ回れるように、初日であるこの日は開けた海岸の砂浜の上で過ごすことにした。

 

幸いにも天気は良いようで空は星がくっきりと見える。

月もあとちょっとで満月になりそうな感じで、やわらかい光を放っている。

そのおかげで、夜になったらあたりは真っ暗で何も見えなくなってしまうんだろうなーと思っていたけれど、意外にも目も慣れて結構はっきりと周囲が見える。

風も穏やかで、暑すぎず、寒すぎず、温度はちょうどいい。

 

ただその分、昼間は鳴いていた鳥の声がしなくなり、打ち寄せる波の音だけが周囲に響いていた。

とっても静かだ。

 

まあ、とりあえず、今日はこんな感じで、朝がくるのを待つとしよう。

目覚めてからまだ何も食べていない(水分は川の水を少し飲んだ)けど、空腹感はあまりない。

昼間は歩き回ったので体は相応に疲れているはずだが、疲労感もそこまで感じない。

眠くもない。

 

きっと、まだかなり気が張っているんだろう。

そりゃそうだ。

普通の日常を送っていた人間が、ある日突然目が覚めたら無人島にいるという、何の関連性もない、ワケの分からない事態の当事者になってからまだ半日も経過していないのだから。

しかも、衣食住に恵まれた暮らしから、一転、ガスも水道も電気もなんにも無い原始人のような状況に置かれてしまったのだから。

焦るし、怖いし、不安になるのも当然のことだ。

 

ただ、その中で1つ、すごく後悔していることがある。それは、サバイバルの技術に今まで全く関心を持ってこなかったことだ。

前にテレビで、芸能人が無人島で木や石を使って火を起こしている様子や、漂着物などを使って簡単な住居を作っている様子を目にしたことはある。

だけど、その時はバラエティの演出の1つだと思って、細かくやり方を知ろうとは思わなかったし、まさか自分がそんな状況にリアルで置かれるなんて、1ミリも想像していなかった。

だから、僕は火を起こす方法も家の作り方も分からない。

まだ半分夢であってほしいという気持ちもある。



きっと、火のおこし方を知っていたり、実際に木や石を使って火を起こしたことがあれば、それでも大変な思いをするかもしれないけれど、もっと温かくて、明るい環境をつくることができただろう。

獲ってきた魚や拾ってきた木の実などを焼くこともできたかもしれない。

 

組み立て方を知っていれば、この島に流れ着いてきた流木などを使って、雨風をある程度しのげる空間を作ることができたかもしれない。

 

その状況に置かれて初めて悔やんだり感じる気持ちがある。

人生ってそんなことの連続な気がする。

まあ、ここまで非現実的なことが起きることを想像するほうが難しいだろうけれど。

ただ、この環境では間違いなく、サバイバル術を少しでも身につけている人間の方が何も知らない人間よりも圧倒的に有利になることは間違いない。

そして、僕はどちらかといえば、後者の「何も知らない人間」の方なのだ。

 

そんな事を考えながら、ただただじっと、夜の海岸を眺めていた。

日が落ちてどれくらいの時間が経ったかは分からない。

 

 

続く

 

 

 

 

 

ある日突然無人島に1人置かれたら ②

ある日、妙な感覚に襲われて起き上がり、目を開くとそこは無人島だった。

そして、当然ながら、自分以外の人間はここには存在しない。

全く不可解だけど、どうやら夢ではないらしい。

さて、もしもこんな時、自分だったらどうするか、、、

 

ある日突然無人島に1人置かれたら(①からの続き)

刻々と迫る夜の暗闇に怯える

とりあえず、無人島に突然1人置かれた初日の昼間は、パニックになりながらも状況をひとつひとつ整理し、未開の地の道なき道を通りながら、せめて夜が来る前にこの広くはない島の全体像を把握しようと、島中を歩き回った。

そのおかげで、この島の奥には、そのまますくって飲むことができるくらい透明度の高いきれいな川が流れていて、食べられそうな木の実をつけた木も生えているなど、様々なことが分かった。

 

あとは動物などの存在だが、いくら歩き回っても、ヘビにも遭遇しないし、サルやイノシシなどの大型のものの気配もしない。

実はいるけど警戒して気配を消しているのか、それとも全くいないのか、それは分からない。

ここは小さいながらも独立した島であり、近くに同じような島の存在も確認できないため、もしかしたら成り立ちの都合上、動物などは立ち入ることができなかったのかもしれない。

もしそれが本当なら、少しは安心できる。

ただ、鳥や虫などはちょくちょく見かける。

 

時計など、時間が確認できるものは一切身につけていないので詳細な時間の経過は分からないけれど、しばらく歩いて休んでを3回くらい繰り返しているうちに、空が夕焼けの色に変わってきた。

もう少しであたりは暗闇に包まれる。

 

あぁ、怖い。

 

さっきまで島中を散策していた時は、もちろん突然このような状況に置かれた事実に対しての動揺も続いていたけれど、それと同じくらい様々な発見があって、楽しいというか、おもしろいというか、そういうポジティブな感情も確かに感じることができていたと思う。

 

でも、もうすぐ夜が迫っていることを知った時、気がつくと、頭の中がこれからあたりが暗くなって、静寂に包まれて、ほとんど何も見えなくなってしまうということに対する恐怖心で埋め尽くされていた。

心まで暗闇に包まれていくようだった。

 

心細い。

誰か1人でいいから自分の近くにいてほしい。

不安で落ち着かない。

 

この島に置かれるまでの僕は、どちらかというと、他人から物理的にも精神的にも一定の距離を置くことで、安心感を得て生活していたように思う。

誰かと密接に絡みながら日々を過ごすことには、知られたくない自分の一面や、知りたくない相手の一面を嫌でも見せたり見せられたりすることにつながるので、ものすごく抵抗感があった。

そう、むしろ人嫌いな人間だったのだ。

 

そんな人間が、自分以外誰もいない孤島で、今まで毎日当たり前のようにやってきて日中の活動で傷ついた心を癒やしてくれる、味方であったはずの夜がやってくることに、こんなにも怯えている。

 

それくらい今の僕の心は追い詰められているということなのだろうか。

 

僕をこの無人島に1人置き去りにしたのが誰かは分からないが、もしかしたら僕にこのような恐怖心を味わわせたかったのか。

 

こんな状態で僕はこれから来る夜の時間を乗り越えることができるのだろうか。

 

そんなことを考えているうちに、日はどんどん水平線の彼方へ沈んでいき、みるみるうちに周囲は暗闇に包まれていった。

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

イングランド・プレミアリーグ戦士を紹介 ②ウーデゴール

サッカーの祖国、イングランド。🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿

 

そこでプレーするのは、他を圧倒する技術・身体能力・戦術理解力・フィジカルを備え

た一流のプレーヤーばかり。 そのため、レベルの高さは現在世界一と言われています。

 

この度は、そんなイングランド・プレミアリーグのチームに所属する選手を、これまで

の経歴をまじえながら解説していくシリーズの第2回目となります。

この記事を見て、プレミアリーグに興味が湧いたり、海外サッカーをもっと知りたい!

という方が増えてくれたら嬉しいです。

 

今回紹介するのは、マルティン・ウーデゴールです。

 

マルティン・ウーデゴール

写真はかなり前のものです

1.ポジション・経歴

国籍はノルウェー🇳🇴です。

 

現在の所属クラブはアーセナルFCです。

 

ポジションは主にミッドフィルダー(トップ下・インサイドハーフ)です。

 

利き足は左足です。

 

ウーデゴールは1998年12月17日、ノルウェーのブスケルー県のドランメン出身

の現在24歳の選手です。

父親が元プロサッカー選手ということもあり、幼い頃からその影響でサッカーを始め、

2009年まで地元ドランメンのクラブのユースチームでプレイします。

また、父親からも直接英才教育を受けていたようです。

 

そして、その後、父親も現役時代所属していた国内クラブのストレームスゴトセトIFと

いうクラブのユースチームに入団します。

この頃から大変練習熱心であり、アイディア溢れる天才的なプレーも見せていたようで

す。

そんな彼にはこの頃から「神童」だと周囲が騒ぎ立てる環境ができ始めていたようで

す。

その5年後の2014年、15歳の時に、同クラブのトップチームに昇格することとな

ります。

そして、間もなくトップチームの試合にも出場しますが、これでノルウェー国内のトッ

プリーグの最年少出場記録を更新することとなりました。

 

その約1ヶ月後の試合ではリーグ最年少得点記録となるゴールも決め、その後も印象的

な活躍を継続してみせたことから、同年、ノルウェー代表にも招集され、すぐさま同国

史上最年少出場記録を更新するA代表デビューを果たしました。

 

そして、翌年の2015年、トップチームデビューから印象的な活躍を繰り返し、既に

ノルウェーの神童」として、国内だけではなく、国外クラブからも熱い視線を浴びて

いたウーデゴールは、ある強豪クラブへの移籍を選択します。

そのクラブとは、UEFAチャンピオンズリーグ最多優勝回数を誇る、あのスペインの名

門、レアル・マドリードです。

この移籍は当時、サッカー業界ではかなり大きな話題として報じられました。

 

その後はリーグ戦ではチーム史上最年少デビュー記録を更新するなど、スーパースター

への道を歩み始めたかに思われましたが、ここから数年間、彼にとっては試練の時が

訪れます。

 

デビューを飾ったは良いものの、結果的にトップチームに定着することはできず、Bチ

ームでのプレーが中心となり、約1年半、そこで過ごします。

 

その後の2年間はシーズンごとにオランダの別のチームへの期限付き移籍をし、主力と

してプレーしますが、1年目のチームでは期待されていたような印象的な活躍や記録を

残すことはできませんでした。

しかし、オランダ2年目の年に所属していたフィテッセというチームでは才能の片鱗を

見せつけ、結果を残します。

 

そして、2019年、20歳の時にスペインリーグに戻りますが、所属元ではなく、現

在、久保 建英選手が所属していることでも知られる、レアル・ソシエダへレンタル移

籍します。

ここで自身のプレースタイルとクラブの戦術が見事にマッチしたことで躍動し、チーム

の躍進の中心人物となります。

結果的に、クラブにとって33年ぶりのタイトルとなる、国内カップ戦優勝や、リーグ

戦上位でのフィニッシュをもたらしました。

 

この活躍を受けて、翌年、保有元のレアル・マドリードへと戻りますが、チームの重要

な戦力とはみなされなかったため、その翌年の2021年の冬、22歳の時にイングラ

ンド・プレミアリーグアーセナルFC期限付き移籍を果たしました。

ここでも彼はチームの主力として半年間活躍したため、それが高く評価されたのと、保

有元のレアル・マドリードでは引き続き構想外であることが分かったため、同年夏に

ーセナルFCへ完全移籍を果たしました。

 

それから現在に至るまで、最初の方はスタメンに選ばれない時期もありましたが、出た

試合で結果を残したことでその後はチームの絶対的な主力として、多くの試合に出続け

て、多くのゴールやアシストなどの記録を残しています。

また、先日終了した、22−23シーズンでは、全体を通して当時23歳ながらチーム

のキャプテンを任され、結果的にチームも7シーズンぶりにUEFAチャンピオンズリー

グの出場権を確保できるリーグ戦2位となる結果を残す原動力となりました。

またこれにより、ウーデゴールは同シーズンのチーム最優秀選手にも選ばれています。

 

史上最年少デビューを飾ったノルウェー代表でも、当時22歳という若さだった202

1年からキャプテンとして指名されるなど、チームの中心人物であり、現在その驚異的

な得点力で世界中を驚かせている、アーリング・ハーランドとともに、ヨーロッパでは

強豪国とはいえないチームの、これからの躍進のキーマンとして大きな期待を寄せられ

ています。

 

 

2.プレースタイル・魅力

ウーデゴールのプレースタイルを一言で表すならば、それは、「センスの塊」です。

特に攻撃面においては、それを強く感じます。

基本的には、中盤の少し前目でのポジショニングが多く、パスやシュート、ボール保持

の際は利き足である左足を頻繁に用います。

 

ドリブルは足からボールが離れず、非常に小回りがきくため、複数の相手選手に囲まれ

ても滅多にボールを失いません。

時にはダブルタッチなどを使って局面を打開することもよくあります。

 

パスの能力はずば抜けており、長短問わず正確なボールを蹴ることができます。

また、味方選手に合わせるスルーパスが大の得意で、特にアーセナルでは、トップ下

として裏に抜け出した味方へタイミングピッタリのグラウンダーや浮き球での正確無比

なスルーパスを繰り出して決定的な場面を演出する場面が頻繁にあります。

 

ルーパスだけではなく、中盤の後ろへ移動してビルドアップにも大きく貢献すること

ができ、特に、味方との1タッチ・2タッチでのやり取りを繰り返しながらボールを前

へ運んでいく能力が非常に高いとプレーを観ていて感じます。

 

シュートの技術や意識も高く、スペースがあいていれば、頻繁に前線へ顔を出して、味

方からのクロスやパスをシュートへ繋げます。

また、ぺネルティエリアの外からもコースが空いていれば、積極的にシュートを打ちま

す。

その精度も高く、高確率でゴールの枠を捉えるため、ミドルシュートでの得点の場面も

多いです。

 

その上、運動量も非常に豊富かつ守備への意識も高く、ディフェンスの際は相手へのパ

スコースを封じながら急接近するプレッシングが大の得意です。

それを出場している間は継続して行うことができるため、攻撃面だけではなく、守備面

でもチームに多大な貢献をしている選手だと言えるでしょう。

 

 

そして、僕がウーデゴールのプレーで最も「センスの塊」だなーと思うのが、意外性の

あるプレーを即興で頻繁に繰り出すところです。

 

特に、複数の相手選手に囲まれ、もうどこにもスペースやパスコースがない!という、

こちらからからすると絶体絶命に思えるような場面でその能力が発揮されることが多い

ように思います。

 

ダブルタッチの途中でパスを出したり、ボールを一度引っ込めて相手をずらした後に、

再度同じ場所に戻してドリブルしたり、パスをそこから出したり。

言葉では説明しにくいため、ぜひ、動画を観ていただきたいのですが、とにかく、どう

してそんなことができるの!?というより、やろうと思えるの!?

というような、観ている側ですら一瞬何が起こったのかわからず、リプレイをスローで

再生してようやく理解して、それを瞬時に行った彼の判断に驚愕させられることがほぼ

必ず毎試合どこかの場面であるのです。

 

そんな、彼の意外性のあるプレーは観ていて非常に面白く、それがアーセナルの試合

を毎試合観たいというモチベーションの1つになっていることは確かです。

 

また、10代のうちから様々なチームでプレーし、代表デビューも飾ってうまくいく時

といかない時を何度も経験してきているため、同じ世代の他の選手達と比べると、経験

値の差が明らかに違う印象があります。

そのためか、23歳でアーセナルというビッグクラブのキャプテンになった時も、不

思議と早すぎるという感じはしなかったし、むしろ適任なんじゃないかとさえ思えまし

た。

現に、チームでは同世代の若い選手たちだけではなく、中堅・ベテランの選手からも

慕われており、監督(ミケル・アルテタ)からの信頼も非常に厚いです。

チームの成績としても、近年では最も良いものを手にできています。

このキャプテンシーもウーデゴールを語る上で欠かせない要素の1つだと思います。

 

 

3.まとめ

ここまで紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。

トップチームデビューを果たしたのが10年近くも前なので、もうベテランに思えま

すが、彼はまだ24歳です。

年齢的には、まだまだこれからの選手なのです。

子供の頃から「神童」としてもてはやされて、それでもしばらくその期待通りの結果を

残すことができずに苦しんだ時期もあったとは思いますが、今の彼のプレーを観ている

と、それを乗り越え、自身がみなぎっているように思います。

そして、既に1人のサッカープレイヤーとして、非常に高い次元で完成されつつあるな

とも感じます。

 

これからのシーズンは、アーセナルでは20年ぶりのリーグ優勝、ノルウェー代表では

、長らく遠ざかっている主要国際大会への出場へむけて、その多くの経験値と天才的な

プレーなどを武器に活躍し、悲願を達成してほしいなと思います。

 

 

それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました!